有元農場 誕生秘話 第1話「何故百姓?これがはじまり」

まずはじめに、自分は百姓をするまえは福岡に10年住んでおりました。

福岡での最後していた仕事は飲食店系のグループ会社にいて中間管理職についてました。現場を任されていたので部下も最大で100人ほどおりました。なので収入もそこそこありなに不自由なく過ごせておりました。

妻とも福岡で出会い結婚もし、娘も授かりました。

「そんな中、最愛の母を亡くす」という出来事をきっかけに自分の中で人生これで本当に良いのか?

という疑問が芽生えはじめました。それまでの人生を振り返させられるほどに最愛の母の死は自分に衝撃を与え、考えさせられました。

福岡での仕事は出張、接待、付き合い、等が多く家族との時間が全くもてなかったのでなおさらです。

母を病気で亡くし、自分の家族にはこのような思いはさせたくないと思い病気に強い身体を作るにはどうしたらいいか?考えるようになりました。

そして考えついた先が『 食 』です。食に関わる仕事を地元(鹿児島県霧島市)に帰りしようと決意しました。

それから地元に帰る事を妻と話し合い、承諾して頂きました。

そして次に地元に帰るにしろ食に関わる仕事は何をしよう?自分には何が出来るんだろう?と来る日も考えました。

もう会社組織に入るのは嫌でした。なので何か立ち上げよう。でも何を?

そこで頭に浮かんだのがなぜか百姓でした。福岡の色々な就農の窓口等に聞きに行き調べました。

調べれば調べるほど「食」に通じる一次産業の百姓という仕事は大事な仕事だという事がわかりました。

なのに後継者は育たない、新規就農者も増えてない現実を知りました。汚い、臭い、儲からない等のイメージがやはり強いのでしょう。

農耕民族の日本人がいつの間にか原点を忘れかけてるのを感じました。

そうこう調べていくうちに自分の中に使命感が沸いてきました。

「自分になにが出来るかわからないけど何か百姓で革命を起こしてやりたい」と強く思うようになりました。

そしてその思いを妻にぶつけました。

「軌道にのるまでは今までの生活レベルとは天と地ほど変わることも覚悟してほしいと」

すると妻は

「やってみたらいい。やるからには腹をくくって一生百姓をせなよ」と言ってくれました。

その言葉が 「百姓道 有元農場」 のスタートの第一歩です。

 

第一話 完

 

今思えば簡単な決断ではないですよね。幼い子供を抱え不安しかなかったと思います。

自分の考えを尊重し、信じてついてきてくれた家族に本当に心から感謝しております。ありがとう。